こんにちは、フレッドです。
最近ジャンヌ・ダルクの指輪がイギリスからフランスに戻ったというニュースがあり、
今回は ジャンヌ・ダルクの事を書いてみます!
この記事(リンクはこちらから:フランス語です)の紹介ですが、難しい単語などがあることから、
記事をそのまま翻訳というより、重要なポイントを抜粋してできるだけ分かりやすく日本語に置き換えてみます!
写真の引用はこちらから
ジャンヌ・ダルクは日本でもその名が有名ですが、カトリックの聖人でもあるジャンヌ・ダルクが、
フランスからイングランド軍を追放しオルレアンを解放したとして毎年5月1日にお祝いがあります。
これはこれで正しい歴史上の事実ですが、実際のジャンヌ・ダルクの“真の使命”は隠れてしまっています。
17歳の若い女性が王室後継者(dauphinという単語は“イルカ”の意味もありますが、
他に“後継者、長男”という意味があります)と
イングランド軍に敗北しそうなフランスを救おうとした本当の動機が説明されることはないからです。
フランスの魂でもある、フランスの文明と国民性は、次の歴史上の出来事に基づいています:
それは、496年クリスマスの夜に行われた王クロヴィスの洗礼式。
この大切なイベントは、ローマ帝国崩落の後、最初のカトリック王室誕生の基礎になりました。
そこでは司教の聖レミによりクロヴィスの洗礼が行われました。
※ジャンヌ・ダルクについては日本語のwikipedia(こちらから)にもありますので読んでみてください。
しかし!このwikipediaにも載っていない、知られていない話が前出の記事の中にあります。
(記事説明の続き)
ジャンヌ・ダルクの使命の中には、王クロヴィスの洗礼式の本当の意味を思い出させる事がありました。
この神聖でかつ政治的な儀式は、クロヴィスの跡を継いだその後のすべてのフランスの王に実に重要な使命を与えていたのです。
つまり、どういうことかというと:
クロヴィスの洗礼式以降、王は王国を司る“キリストの代理人”であり、フランス王国の国民が天国に行けるために、国を護り司るという使命です。
何世紀もの間、フランスの国王達は人間としての多少の善し悪しの差はあれ、この王室の機能と使命は常に不変でした。
そして“la triple donation ”(三回の譲渡)という正式な儀式が1429年6月21日にabbaye de Saint-Benoît-sur-Loireという所で行われ、
なんとジャンヌ・ダルクは王シャルルに、フランス王国を自分に譲るように願いでたのです。
王シャルルは悩んだ後、彼女の願いを受け入れます。
そして、ジャンヌはこう言いました:
“ジャンヌはキリストに(フランス王国を)渡す”
“そして、キリストはシャルルに返す” と。
Jehanne donne le royaume à Jésus-Christ.
Jésus-Christ rend le royaume à Charles.
これが先の“la triple donation ”です。
日本語の訳が見当たらず(三回の譲渡)と訳しましたが、国の譲渡が三者間(キリスト、国王、ジャンヌ・ダルク)で行われるという意味です。
この正式な取り交わしは« Breviarium historiale »という名前でバチカンの図書館のアーカイヴにその証拠が残されているそうです。
ここまでの流れをまとめますと、つまり1789年のフランス革命はすなわち王クロヴィスの洗礼式との絶縁であるという事。
別の言い方をするなら、フランス王国にとっての本当の王であったキリストは倒され、代わりに正反対の考え方を持っているoligarchieがフランスの権力を握り始めたのです。
しかし、今もなおこの戦いは終わっていないかもしれません・・・
—-と、ここで記事のざっくりとした説明は終わりますが、私が今回ジャンヌ・ダルクを挙げたきっかけは、
何ヶ月か前のとある記事からです。
この記事は、ロシア発信のSputnik News(以前ブログでもお勧めした事があるニュースサイトの一つです)に掲載されていました。
600年前にイギリス人によって盗まれたジャンヌ・ダルクの指輪がロンドンでオークションになっていることを知った、
とあるフランス人が友人に知らせて資金を集め、ジャンヌ・ダルクの指輪を(約500,000ユーロで)競り落としたというニュースです。
Photoはこちらから(日本語で読めます!)
もちろん、フランス政府からの支援はありません。
なぜなら前述の記事でもありますが、共和国と王国の基本は正反対ですから無理もありませんね。
現在、Puy du Fouという、ヨーロッパで一番大きく人気のあるテーマパークでその指輪を見る事ができます。
(Puy du Fouについて、フランス観光局のページはこちら)
最近、君主制に反対しているある政治家達は、ジャンヌ・ダルクのイメージを自分達やフランス共和国のものにしようとしているのが見られます。
しかし、聖人としてのジャンヌ・ダルクの使命を理解している人々にとって、それはとても矛盾した行動として見られています。
——
本当の歴史を知ることというのは、細かな日付を正確に暗記するということではなく、
語られている裏で起きていた真実を理解することです。
戦いに負けた側の見解は歴史の本に載っていません。
今、ジャンヌ・ダルクの指輪がほんの一部のフランス国民のお陰でフランスに戻ったことは、
偶然ではなく必然なのかもしれません!!
この“偶然”は、フランスがようやく今のどん底から復活するという、
天からのシグナルであるかもしれません。伝統的なフランスが大好きな私はそれを信じたいです。
画像 はwikiより
パリのノートルダム大聖堂
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