今日は皆さんもよくご存知の画家ダリDaliとピカソPicassoを挙げて、キリスト教との関係をお話したいと思います。
Daliの一番有名な絵はおそらくこれかもしれません:
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しかしDaliはこのような一般的に有名な作品の他に、懸命にあるテーマについて何回も挑んでいました。
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このテーマは、何百年も前からキリスト教のヨーロッパの画家に描かれて来たテーマの一つで、
Saint Georges terrassant le dragonと言います。 日本語で”聖ゲオルギオスとドラゴン(龍)” (wikiはこちら)
このテーマのシンボルは、単に善と悪(龍)の戦いと言われているのですが、ちょっと深い意味があります:
聖ゲオルギオスは”理性”を表していて、馬は”心”、(情熱)を表しています。そしてドラゴンは”悪徳”(本能)を表しています。
つまり、この戦いは外にいる敵との戦いではなく、自分の中にいる悪徳との戦いなのです。
キリスト教以前から、今から2500年前のソクラテス時代でも、そういうイメージで精神の状態を表すために、使われていました。
ソクラテスは馬の代わりにライオンを使っていました。(PLATON LA REPUBLIQUE. Livre IX)
つまり、おそらく3000年前から使われているイメージです。
この絵では、理性は心の上にいる、そして理性と心が組んで(人間と馬)、instincts/dragon龍と戦う。
上下関係がちゃんとあります。
このヒエラルキーが崩れると、狂ってしまい、人間が人間らしく生きられない。
ドラゴンはいくつかの頭を持っている絵もあります。なぜなら、悪徳はいくつかあるからです。
私は子供の時、お父さんの語ってくれた子供用の話に、よく7つの頭をもつドラゴンが出てきていました。
その当時は、その意味がわかっていませんでした。
私が思うに、Daliにとって、おそらく善悪の区別の大切さを意識して、本当のartisteとして芸術で美または善、または誠実を表そうとしました。
それこそart(アート:芸術)の本来の役割、自由を表していました。
さてここに、Daliのフランス語でのインタービューがあります。(ビデオはこちら)
ここで、DaliはPicassoのことをgénie destructif(破壊してしまう天才)と呼んでいます。
ダリはピカソのことをコンテンポラリーアートを代表する一人として、批判していたからです。
そして有名なフランス人建築家であったLe Corbusier(ルコルビジェ)については:
“C’est un des plus mauvais architectes qui ait jamais existé au monde.”
(この世に存在したことのないもっとも悪い建築家のうちの一人だ)と言っていました。
この映像でDaliは、コンテンポラリー絵画が引き起こした惨劇と、信仰の復活の必要性について話しています。
星の王子様を書いたSaint Exupéry(サンテクジュペリ)も、とある手紙の中に(Lettre au Général X でリサーチしてみてください)同じ事を記していました。
残念ながら現在は、art(芸術)の本来の意味、本来の良さが無くなってしまい、
訳の分からないバランスが崩れた、下品で意味のないものであふれています。
本当の意味での自由がない、反キリスト教、反モラルの“art”こそがサポートされ、そのせいで本物の多くのartisteは苦しい環境に追いやられてしまっています。
それをわかりやすく説明してくれているビデオはネット上でたくさんあります。
おそらくDaliは、最後の有名な本来の“artiste”でした。
DaliはSaint Exupéry(サンテクジュペリ)と同じ、まだフランス、スペイン、イタリアなどの文明を受け継いだヨーロッパの人でした。
そういう人は今少ないです。Daliは根っこがある人=文明を受け継いだ人でした。
一方、2012年から2014年までフランスの教育制度の大臣をしていた人は以下の内容を自分の本に書いています。
L’école doit être le lieu qui dépouille l’enfant de toutes ses attaches pré-républicaines.
“学校は共和国の前(=フランス革命の前)に受け継いでいた文明(=特にキリスト教由来のもの)を子供の頭から消し去る場所であるべき”
つまり共和国の目的はこの文明を表す根っこを無くすことだという意味にも取ることができます。
国を担う教育大臣が発する言葉として、とても恐ろしい内容ではないでしょうか?
また有名なロシア人Soljenitsyne (共産主義の被害者の一人)が批判した際に、こんな一文を言いました。
“Si vous voulez détruire un peuple, il faut d’abord détruire ses racines.”
ある国民を壊したいなら、まずはその国民の文化的な根っこを壊すべきです。
文化的な根っこを壊すということがどのような影響を示しているかが想像できると思います。
画家のDaliは、おそらくキリスト教の知識は普通の人より深かったと思います。
そう思わせる理由は、前述のテーマに挑んでいたからだけではなくて、この絵があるからです。
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一見単なるキリストの絵にしか見えないかもしれませんが、実はこの角度からキリストを描くのはとても珍しいのです。
そう、Daliは同じスペイン人であった有名な聖十字架のヨハネ(Saint Jean de la Croix)の絵を手本にしていたのです。
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このヨハネはキリスト教の聖人の中ではかなり有名で、アビラのテレザと同じ時代の人です。
彼の主な作品は “La montée du Carmel”です。この作品の中では禅思想との共通点が目立ちます。(無の概念など)
それでは、どうしてダリはピカソのことをdestructif(破壊してしまう)と呼んだか・・・
ここまで読んで頂いたら、お分かりになったでしょう。
ダリの批判は、実は芸術の表面的なところについてだけではなかったのです。
ちなみに、先ほどお話した Saint Georges terrassant le dragon(聖ゲオルギオスとドラゴン)の話は
ポールマクリーンという科学者によって流行ったことがあります:フランス語のwikiはこちら
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図の一番下は爬虫類の脳(本能)
その上が哺乳類の脳(感情・心)が加わり、最後に人間の脳として理性・思考がここに加わるという意味です。
昔から語り継がれることには本質をついた事が実に多く含まれていますが、
大切なことが目に見えなくて何かわからなくなってしまわないよう、常に考えていかなければいけませんね。
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